1982年のワールドシリーズ
April 27, 2011 20:31 カテゴリ:1980年代
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、わたくしはセイントルイス・カーディナルズのファンです。そして、セイントルイスを応援しようと決めたきっかけとなったのが1982年の世界一でした。当時はフジテレビ系列がワールドシリーズの実況中継を真夜中に放映していて、わたくしは、翌日学校があるのにも構わず、自室のテレビにかじりついていたものでした。
1982年のワールドシリーズは、ナショナルリーグ優勝のセイントルイスと、アメリカンリーグ優勝のミルウォーキー・ブルワーズという顔合わせでしたが、非常に対照的な2ティームでした。この年セイントルイス打線が放った本塁打がわずか67本だったのに対して、ポール・モリター、ロビン・ヤント、セシル・クーパー、テッド・シモンズ、ベン・オグリビエ、ゴーマン・トーマスと続くミルウォーキーの強力打線は、MLB最多の216本塁打、891得点をマークしています。しかしセイントルイスには、ティーム200盗塁というスピードと、ナショナルリーグ最高の守備率.981をマークした堅実な守備がありました。唯一の共通点と言えば、セイントルイスにはブルース・サッター、ミルウォーキーにはロリー・フィンガーズという、サイ・ヤング賞受賞歴のあるクローザーがブルペンに控えていることくらいだったかもしれません。もっともフィンガーズは、故障のために9月2日を最後にマウンドから遠ざかっていましたが。
さて、ワールドシリーズ第1試合ですが、ミルウォーキー打線が17安打で10得点を挙げただけでなく、シーズン18勝をマークしている先発の左腕マイク・コールドウェルが3安打完封と一方的な展開となりました。続く2試合はセイントルイスが奪ったものの、第4試合では、4点を追っていたミルウォーキーが、7回裏に打者12人で一挙6点を奪って7対5と逆転勝ち。第5試合はコールドウェルが完投目前でマウンドを降りたもののシリーズ2勝目をマーク。いい形で連勝したミルウォーキーが、ティーム創設以来初の世界一まであと1勝と迫ったわけです。
このシリーズの転機となったのは、第6試合だったかもしれません。ミルウォーキーの先発は、後に野球栄誉の殿堂入りすることになる右腕ドン・サットン。不利が予想されたセイントルイスでしたが、2回に相手の失策で2点を先取。さらに4回にダレル・ポーターの本塁打などで3点を奪うと打線が活気づき、4回には2点を挙げてサットンを降板へと追いやりました。そして5回には一挙6点を追加します。一方のミルウォーキー打線は最終回に1点を返すのがやっとで、最終スコアは13対1。打ち合いになったら不利と思われたセイントルイスの圧勝でした。続く第7試合は、6回表に2点差をつけられたセイントルイスがその裏すかさずキース・ヘルナンデス、ジョージ・ヘンドリックの連打で3点を挙げて逆転。8回にもポーター、スティーヴ・ブラウンの一塁打で2点を追加して点差を広げます。最後は抑えのサッターがミルウォーキーの反撃を許さず、セイントルイスが1967年以来9度目のワールドチャンピオンに輝きました。
このシリーズでは打率.286、5打点、1本塁打と平凡な成績だったポーターがMVPに選ばれたのは、最後の2試合の重要な場面で得点打を放ったことを評価されたからでしょう。眼鏡をかけた堅守強打の捕手として知られたポーターは、アルコールと薬物の依存症に苦しんだ時期もありました。しかしそこから立ち直り、自らの力でティームの栄冠に貢献する活躍を示したのです。ところが、それから20年後の2002年8月5日。ポーターの変死体が発見されました。死因がコカインの過剰摂取であったと知って、とてもやりきれない気持ちになったものです。
長打か走塁か。野球好きなら誰もが一度は抱くであろう疑問に答えるかのような1982年のワールドシリーズの一部始終を目撃し、わたくしは走塁と守備とを重視する野球に心引かれるようになりました。そして1982年のセイントルイス・カーディナルズは、その最高の手本として、わたくしの記憶に刻みつけられることになったのです。
第1試合(1982年10月12日)
ミルウォーキー 200 112 004 |10 17 0
セイントルイス 000 000 000 | 0 3 1
勝 マイク・コールドウェル
負 ボブ・フォーシュ
本 テッド・シモンズ(ミルウォーキー)
第2試合(1982年10月13日)
ミルウォーキー 012 010 000 |4 10 1
セイントルイス 002 002 01X |5 8 0
勝 ブルース・サッター
負 ボブ・マクルア
本 テッド・シモンズ(ミルウォーキー)
第3試合(1982年10月15日)
セイントルイス 000 030 201 |6 6 1
ミルウォーキー 000 000 020 |2 5 3
勝 ホアキン・アンドゥハル
S ブルース・サッター
負 ピート・ヴコヴィチ
本 ウィリー・マギー2(セイントルイス)
セシル・クーパー(ミルウォーキー)
第4試合(1982年10月16日)
セイントルイス 130 001 000 |5 8 1
ミルウォーキー 000 010 60X |7 10 2
勝 ジム・スレイトン
S ボブ・マクルア
負 ダグ・ベア
第5試合(1982年10月17日)
セイントルイス 001 000 102 |4 15 2
ミルウォーキー 101 010 12X |6 11 1
勝 マイク・コールドウェル
S ボブ・マクルア
負 ボブ・フォーシュ
本 ロビン・ヤント(ミルウォーキー)
第6試合(1982年10月19日)
ミルウォーキー 000 000 001 | 1 4 4
セイントルイス 020 326 00X |13 12 1
勝 ジョン・ストゥーパー
負 ドン・サットン
本 キース・ヘルナンデス、ダレル・ポーター(セイントルイス)
第7試合(1982年10月20日)
ミルウォーキー 000 012 000 |3 7 0
セイントルイス 000 103 02X |6 15 1
勝 ホアキン・アンドゥハル
S ブルース・サッター
負 ボブ・マクルア
本 ベン・オグリビエ(ミルウォーキー)
1982年のワールドシリーズは、ナショナルリーグ優勝のセイントルイスと、アメリカンリーグ優勝のミルウォーキー・ブルワーズという顔合わせでしたが、非常に対照的な2ティームでした。この年セイントルイス打線が放った本塁打がわずか67本だったのに対して、ポール・モリター、ロビン・ヤント、セシル・クーパー、テッド・シモンズ、ベン・オグリビエ、ゴーマン・トーマスと続くミルウォーキーの強力打線は、MLB最多の216本塁打、891得点をマークしています。しかしセイントルイスには、ティーム200盗塁というスピードと、ナショナルリーグ最高の守備率.981をマークした堅実な守備がありました。唯一の共通点と言えば、セイントルイスにはブルース・サッター、ミルウォーキーにはロリー・フィンガーズという、サイ・ヤング賞受賞歴のあるクローザーがブルペンに控えていることくらいだったかもしれません。もっともフィンガーズは、故障のために9月2日を最後にマウンドから遠ざかっていましたが。
さて、ワールドシリーズ第1試合ですが、ミルウォーキー打線が17安打で10得点を挙げただけでなく、シーズン18勝をマークしている先発の左腕マイク・コールドウェルが3安打完封と一方的な展開となりました。続く2試合はセイントルイスが奪ったものの、第4試合では、4点を追っていたミルウォーキーが、7回裏に打者12人で一挙6点を奪って7対5と逆転勝ち。第5試合はコールドウェルが完投目前でマウンドを降りたもののシリーズ2勝目をマーク。いい形で連勝したミルウォーキーが、ティーム創設以来初の世界一まであと1勝と迫ったわけです。
このシリーズの転機となったのは、第6試合だったかもしれません。ミルウォーキーの先発は、後に野球栄誉の殿堂入りすることになる右腕ドン・サットン。不利が予想されたセイントルイスでしたが、2回に相手の失策で2点を先取。さらに4回にダレル・ポーターの本塁打などで3点を奪うと打線が活気づき、4回には2点を挙げてサットンを降板へと追いやりました。そして5回には一挙6点を追加します。一方のミルウォーキー打線は最終回に1点を返すのがやっとで、最終スコアは13対1。打ち合いになったら不利と思われたセイントルイスの圧勝でした。続く第7試合は、6回表に2点差をつけられたセイントルイスがその裏すかさずキース・ヘルナンデス、ジョージ・ヘンドリックの連打で3点を挙げて逆転。8回にもポーター、スティーヴ・ブラウンの一塁打で2点を追加して点差を広げます。最後は抑えのサッターがミルウォーキーの反撃を許さず、セイントルイスが1967年以来9度目のワールドチャンピオンに輝きました。
このシリーズでは打率.286、5打点、1本塁打と平凡な成績だったポーターがMVPに選ばれたのは、最後の2試合の重要な場面で得点打を放ったことを評価されたからでしょう。眼鏡をかけた堅守強打の捕手として知られたポーターは、アルコールと薬物の依存症に苦しんだ時期もありました。しかしそこから立ち直り、自らの力でティームの栄冠に貢献する活躍を示したのです。ところが、それから20年後の2002年8月5日。ポーターの変死体が発見されました。死因がコカインの過剰摂取であったと知って、とてもやりきれない気持ちになったものです。
長打か走塁か。野球好きなら誰もが一度は抱くであろう疑問に答えるかのような1982年のワールドシリーズの一部始終を目撃し、わたくしは走塁と守備とを重視する野球に心引かれるようになりました。そして1982年のセイントルイス・カーディナルズは、その最高の手本として、わたくしの記憶に刻みつけられることになったのです。
第1試合(1982年10月12日)
ミルウォーキー 200 112 004 |10 17 0
セイントルイス 000 000 000 | 0 3 1
勝 マイク・コールドウェル
負 ボブ・フォーシュ
本 テッド・シモンズ(ミルウォーキー)
第2試合(1982年10月13日)
ミルウォーキー 012 010 000 |4 10 1
セイントルイス 002 002 01X |5 8 0
勝 ブルース・サッター
負 ボブ・マクルア
本 テッド・シモンズ(ミルウォーキー)
第3試合(1982年10月15日)
セイントルイス 000 030 201 |6 6 1
ミルウォーキー 000 000 020 |2 5 3
勝 ホアキン・アンドゥハル
S ブルース・サッター
負 ピート・ヴコヴィチ
本 ウィリー・マギー2(セイントルイス)
セシル・クーパー(ミルウォーキー)
第4試合(1982年10月16日)
セイントルイス 130 001 000 |5 8 1
ミルウォーキー 000 010 60X |7 10 2
勝 ジム・スレイトン
S ボブ・マクルア
負 ダグ・ベア
第5試合(1982年10月17日)
セイントルイス 001 000 102 |4 15 2
ミルウォーキー 101 010 12X |6 11 1
勝 マイク・コールドウェル
S ボブ・マクルア
負 ボブ・フォーシュ
本 ロビン・ヤント(ミルウォーキー)
第6試合(1982年10月19日)
ミルウォーキー 000 000 001 | 1 4 4
セイントルイス 020 326 00X |13 12 1
勝 ジョン・ストゥーパー
負 ドン・サットン
本 キース・ヘルナンデス、ダレル・ポーター(セイントルイス)
第7試合(1982年10月20日)
ミルウォーキー 000 012 000 |3 7 0
セイントルイス 000 103 02X |6 15 1
勝 ホアキン・アンドゥハル
S ブルース・サッター
負 ボブ・マクルア
本 ベン・オグリビエ(ミルウォーキー)